大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和27年(ワ)2117号 判決 1953年11月27日

原告 安原秀夫

被告 住友生命保険相互会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告は被告会社東京総局に勤務する職員であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

第二請求の原因

一  被告会社(以下単に会社という)は生命保険事業を営む相互会社で、大阪市に本店を、東京都に東京総局を、全国各地に支社五十三、支社の下に支部二百余を有し、従業員は内勤職員(単に職員ともいう)と外務職員とに分れている。

原告は会社の内勤職員で東京総局に勤務している者であるが、昭和二十六年八月二十三日附で会社の徳島支社徳島中央支部長に転勤を命ぜられた。

二  しかし右転勤の命令は、会社が組合の運営に支配介入するため組合指導者の組合活動を制約拘束しようとするものであつて、労働組合法第七条第三号に該当し無効である。すなわち、

会社の内勤職員は昭和二十一年五月国民生命職員組合(会社は当時商号を国民生命保険相互会社といつた)を結成し、原告は同年十月以来別表組合歴記載の通りほとんど常に組合の第一線にあつて最も活溌に組合活動を行つてきたため、会社はかねて原告に敵意を有していた。

右組合は昭和二十六年六月会社に対し月収手取額の十割の臨時給与の支給を要求し、七月六日闘争委員会を設けて闘争宣言を発し、七日には定時退社、十日には本店と東京総局とで二十四時間ストを決行した。ところが本店の一部組合員がストに反対して右組合を脱退し第二組合(国民生命内勤組合)を結成する情勢になつたので、十一日組合は会社案を受諾して臨時給与問題は落着した。その後組合(以下第一組合という)が第二組合に対して統合を提議したが、第二組合は第一組合の指導者を好ましからぬ者として組合活動から排除したい意図のあることが明かになつたので、第一組合はやむなく七月二十八日その指導者中でも中心と目されていた執行委員長(闘争委員長)辻野耕二、副執行委員長(闘争委員企画部長)杉浦正雄、副執行委員長(闘争委員渉外部長)原告、執行委員、教宣部長(闘争委員教宣部長)山村太郎、中央委員、前執行委員長(闘争委員組織部長)堀日生の五名に組合役員を辞任させて統合交渉を進め、さらに右五名を非組合員として今後二ケ年間は組合活動をさせない旨を提議した(その後第二組合はその提議を容れて、同年九月十八日第一組合は第二組合に吸収合併された)。

このような情勢の中で会社は八月二十三日取締役以下六十八名の人事移動を行い、右五名の内原告、山村、堀の三名と東京連合支部副支部長勝又春吉とを一挙に地方に転出させてしまつた。(山村は本店から名古屋支社へ、堀は本店から福岡支社へ、勝又は東京総局から青森支社へ。)なお前記五名の内杉浦は既に前年七月一日東京総局から山口支社に転勤を命ぜられていたので辻野一名が本店に残ることになつた。

一般に争議中に生まれた第二組合は御用組合的傾向の強いことは争われない事実で、この場合もその例にもれず、少くとも会社と互に好意を持ち持たれる関係にあつたのであるが、このような組合から排除を要望され、同時に会社からも敵意をもたれている組合指導者を、闘争の直後組合運動上枢要の地である東京、大阪から一挙に地方に多数転出させたのは、既に非組合員となつて組合活動を封ぜられた原告らのなお組合に対して有する事実上の影響力を排除するためであつて、会社が組合の運営を自己の思う方向に向ける支配介入行為に外ならないから、労働組合法第七条第三号に違反し、原告に対する本件転勤命令は無効である。

三  仮にそうでないとしても、原告に対する本件転勤命令は、原告の正当な組合活動の故に不利益な取扱をするものであつて、労働組合法第七条第一号に違反して無効である。支部長は保険契約の募集に当るいわゆる外野の職員であつて、内勤職員にとつては本来性質の異る好まれない職務であり、内勤職員を支部長にするのは、特殊な要件を具えた場合に限られた例外人事である。然るに原告は、右特殊要件を具備しないのに例外的に外野に転出させられたのであつて、明かに差別待遇といわねばならない。更にこれを詳しく説明すれば、

(一)  支部は保険契約の直接募集を任務とする外野機構であつて、外務職員を以て構成され、支部長も従来原則として外務職員を以て充てられていた。保険契約の募集事務は一般事務と異る特殊の適性、技術、経験を要するので、内勤職員と外務職員とは、雇入の形態、人事の所管、給与の体系を異にし、就業規則も別個に存し、労働組合も別個に組織されている。もつとも支部長は個人的に直接募集責任額を免除されており、また給与も固定給であつて、募集契約高の歩合支給ではない。然し結局、支部の契約高全体によつて募集成績を査定されるのであり、その成績がまた給与にも影響するのであつて、その職務は外野の直接募集業務にほかならない。しかも現実には自らも直接募集に従事するのが通常であり、これに当り得る能力を必要とする。従つて内勤事務とは質的に異り、内勤職員にとつて支部長の職務は一般に好まれない。支部の経営がその職務の一半であることはもちろんであるけれども、支部の上部組織である支社の経営とは質的に異る。従つて会社は従来支部長には原則として外務職員を当てていた。もつとも昭和二十二、三年度に例外的に大量に内勤職員を支部長に当てたことがあるが、これは当時小口整理という特殊な募集業務があつたのと、戦時中から外務職員が弱体北していた一方、復員により内勤職員が余つたのを調整するための特殊現象であつた。現在では支部総数二百二の中で内勤職員の支部長は原告を含めないでわずか七名に過ぎないし、昭和二十四年以後は二名以上内勤職員の支部長を出した年はない。

このように内勤支部長は例外人事であつて、会社は内勤支部長の不利や困難を緩和させるため、その詮衡に当つて経験、年令、任地との縁故を特殊要件として考慮している。すなわち、外務職員の経験があるか(現在の内勤支部長七名中三名は外務職員出身)、または少くとも相当程度に支社の業務の経験があり、年令は三十歳以上で(右七名中五名は四十歳以上、二名が三十歳以上、もつとも昭和二十二、三年度の内勤支部長は例外で平均年令三十歳未満であつた。)、支社勤務から当該支社管内の支部長に任ずるか、郷里等の支部長に任じている。然るに原告は支部勤務の経験は二年に足らず、年令は発令時二十七才であり、徳島とは何等縁故もない。

このように内勤支部長の詮衡に考慮されるべき要件に合致しないのに、内勤職員にとつて全く性質の異る好まれない職務に就くことを命ずることは、明かに原告にとつて不利益な取扱である。

(二)  前に述べたように原告の従来の正当な組合活動、特に臨時給与獲得闘争の指導により会社が原告に対し敵意を有していた点を考えると、会社がこのような例外人事を敢てして原告を不利益に取扱つたのはその組合活動の故であると断ぜざるを得ない。

従つて原告に対する本件転勤命令は正当な組合活動の故をもつて不利益な取扱をしたものであつて、無効である。

四  以上の理由によつて原告が東京総局に勤務する職員たる地位は、本件転勤命令によつて何ら変更を受けていないものである。然るに会社は原告に対し転勤命令に服従することを要求するので、本訴により原告が東京総局に勤務する職員であることの確認を求める。

第三請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第四請求の原因に対する答弁

一  請求の原因一に記載された事実は認める。

二  請求の原因二に対する認否及び被告の主張

(一)  会社の内勤職員が昭和二十一年五月国民生命職員組合を結成したこと、右組合が原告主張日時に原告主張の要求を掲げその主張のような争議行為を決行したこと、本店の一部組合員がストに反対して右組合を脱退し第二組合を結成する情勢になり、組合が会社案を受諾したこと、昭和二十六年七月二十八日執行委員長辻野耕二、副執行委員長杉浦正雄及び原告、執行委員山村太郎、中央委員前執行委員長堀日生の五名が組合役員を辞任したこと、会社が同年八月二十三日取締役以下六十八名の人事異動を行い、原告、山村、堀及び勝又の四名に対しそれぞれ原告主張の通り転勤を命じたこと、杉浦は昭和二十五年七月一日附で東京総局から山口支社に転出し右異動当時山口支社に在勤していたこと、辻野が本店に残つたこと、はいずれも認める。

組合分裂後第一、第二両組合の間に組合統合について交渉の進められた経緯は知らない。

その余の事実は、すべて否認する。

(二)  争議当時の組合三役(委員長一名、副委員長二名、書記長一名)の中、今次異動で転出したのは、副委員長であつた原告一名だけであつて、このことからも会社が組合の運営を左右する目的で原告らの一挙転出を企てたものでないことは明かであり、また原告主張のように原告らが既に組合員でなく、かつ今後二年間組合活動することができないのであれば、その地方転勤は組合の運営に何ら関係するところはない筈である。杉浦の転勤は今次異動と呼応関連するものではないし、原告、山村、堀及び勝又の各転勤はいずれも会社の正当な人事管理によるものであつて、これら四名は、すべて今次異動の対象となつた中堅職員の階層に属し、後に原告について述べるようにその異動は当然且つ極めて自然のことであつて、原告の主張するように、会社は組合に対し支配介入するものではない。

三  請求の原因三に対する認否及び被告の主張

(一)  被告会社において内勤職員と外務職員とは雇入の形態、人事の所管、給与の体系、就業規則を異にし、労働組合も別個に組織されていること、は認める。

(二)  支部長の職務は内勤職員にとつて性質の異る一般に好まれない職務である。という原告の主張は誤りである。

被告会社の支部長は支部の経営者であつて直接募集をしない。被告会社の支部長は、上部機構である支社の立てる募集計画に従い、支部管内の募集地盤や現有勢力(出張所長以下の部下の外務職員の例月挙績能力、代理店の配置並びに募集援助状況等)を調査し、検討して先ず支部募集計画を立て、支社長の承認を得てから右計画に従つて部下を教育、指導、督励し、また新人を入社させ、有力な募集援助代理店の増設を図り支部陣容を拡大強化する等、支部全般の経営に当り、継続的、組織的に良質の新契約を大量に獲得する。即ち支部は経営単位の先端であつて、直接募集を任務とする出張所、外務職員、外務嘱託を含み、支部長はこれら出張所長以下支部傘下全員を掌握し、指導督励し、支部全般の経営に当ることを職責とし、その地位は略々支社における主任級に相応する。それ故会社は支部長には個人的な直接募集を要請せず、個人募集責任額を免除している。

従つて支部長は本質的に外務職員と異り内勤職員でなければならない。会社が大正十五年創業以来連綿として内勤職員を以て支部長に当てているのはこの理によるのである。もつとも会社業務の発展に伴い機構の拡充を要するに至つて内勤職員だけで全支部長職をみたすことが不可能となる一方、外務職員中にも支部長に充てるに足る人材が輩出したので、外務職員中から支部長に任命する道を開き以後連年支部長には外務職員から補職されたものであるが、この場合会社は特に支部長の本質に鑑み、身分、給与について内勤職員同様に取扱い、個人募集責任額を免除し、経営に専念する方途を講じている。この事実は支部長の職務が、外務職員の職務(直接募集)と異り、本来内勤職員の職務だからであつて、支部経営の責任者として会社がその職務を重要視したからである。従つて被告会社にあつては支部長職は本質的に支社長や指導主任と同一系統に属し、原則として外務職員を充てるべきではないのであるから、内勤支部長制度は例外的措置などというようなものではなく、会社創業以来の沿革と歴史とを有する現行制度で、例年十名前後の内勤支部長の発令者を見て現在に及んでいる。(昭和二十二、三年度に当時の客観的諸事情から特に多数の内勤支部長を出したことは原告主張の通りである。)

故に内勤職員にとつて支部長職が異質の職務であるわけではなく、また自ら直接募集をしなければならないとして、好まれない職務であるとすることはいわれのないことであつて、一般にそのような空気が存在するという事実はない。思うに原告が転勤命令を好まないのは、東京を離れたくないという私的事由による我儘であつて、このような我儘を許すときは、一企業体としての人事は全く行うことができなくなる。

(三)  原告に対する本件転勤命令は異例の人事ではない。

(1) 現在の内勤支部長七名中三名が外務職員出身であることは認めるが、それは偶然のことであつて、会社創業以来の内勤支部長百五十七名の中、外務職員出身の者はわずか十四名であつて、百四十三名は本来の内勤職員であり、個人的直接募集に堪能であるという特殊な前歴を有しない。そうして支社勤務の経験については、原告の千葉、品川、金沢各支社に通算約一年半に対し、右百四十三名中、五十八名は経験年数二年未満であり、十九名は全く未経験である。また勤続年数については、原告の十年以上であるに対し、十年未満の者が九十五名ある。

(2) 支部長を含めて主任、係長級の補職年令は、昭和二十六年度についていえば二十六才乃至三十一才であつて、原告の二十七才は若きに失するものではない。過去においても三十才未満の者は、二十三才から二十九才まで合計五十九名もある。原告の主張するように従来三十才という制限があつて、昭和二十二、三年度の特殊人事の際その制限年令を特に切下げたということはない。

(3) 原告が徳島に縁故をもつていないことは認めるが、支部長が支部管内に縁故をもつていることは、当時一時的には便宜であつても、支部の恒久的全体的活動にとつては問題にならないのであつて、会社は縁故募集に依存させることなく適材適所の原則を優先させて任命している。昭和二十二、三年頃人事異動一般に縁故を考慮したことはあるが、それは当時の食糧事情や住宅事情によつたものである。

(四)  原告の本件転勤は会社の正当な業務上の必要に基き、公正で合理的な選考によつたものである。

(1) 徳島中央支部新設の必要

徳島支社は徳島県一円を所管区域としているが募集業務の成績が良好でなかつたので、その原因を検討したところ、徳島市とその周辺における経営機構の弱体が明かになつた。そこで昭和二十六年春頃から当面の責任者である徳島支社長の意見を取入れ、同支社に徳島中央支部を新設し、支部長の人選には特に考慮を払い、優秀な内勤職員を配置して新地盤開拓を期待することとなつた。

(2) 原告の支部長転出の必要性と適格性

被告会社では通常七月に定期異動を行い、秋の保険募集の好季に備えるのであるが、昭和二十六年度には八月に繰下げ実施された。同年度には新契約獲得部門の整備強化のため既に四月の定期異動で主として業務課長、支社長等の主管者層の陣容強化が行われたあとを受けて、右の八月異動では、主任、係長級の中堅職員層に重点が向けられた。このとき異動可能の対象となつた中堅職員層というのは、戦時中社員採用激減の時代に入社した階層であつて、極めて少数であり実数五十名前後であるのに、会社所要の主任、係長級の地位は最少限約百五十、現に配置済みは百十五名で、人繰りは困難を極め、異動率は高い。また社業の性質上会社は多数の支社、支部を全国的に配置して経営するのであるから、異動も自然に全国的規模で行われ、東京、大阪から地方に転出することも頻繁且つ自然である。原告は昭和十六年四月入社以来満十年を超え、右異動の対象範囲内の中堅職員であり、東京総局の在勤も一年八ケ月に及び、異動頻繁な被告会社における一地位の在勤年月数としては短いものではなく、従つて当時既に異動すべき状況下にあつたのである。また原告が中堅職員から支部長に転出するについて普通の要件を具えていることは(三)に述べた通りである外、東京総局における原告の職務は、社宅、用度品の管理を掌る総務課員であつて、事務の性質上代替補充が困難でなく、引抜可能の事情にあつた。その上原告は弁舌巧みで指導力に富み、単なる机上の執務よりはむしろ渉外的業務に適する性格の持主であつて、支部長に適任である。また原告は兵庫県龍野市の龍野商業を卒業し、入社後は西部総局、尾道分局等関西方面に勤務した経歴をもつので、この方面に近い徳島の勤務は原告にとつて多少とも有利なものである。

(五)  会社には不当労働行為の意図はない。

会社は原告の組合における地位を知つたのは、原告が会社との団体交渉に出席するようになつてからで、しかも会社と組合との交渉は常に大阪で行われ、東京での顕著な組合活動はなく、また大阪本店における原告の言動は他の執行委員にくらべて、特に顕著な点もなかつた。また会社は組合指導者に対して敵意をもつものではなく、その成長発達を希望しておるのであり、原告の転勤も原告に対する信頼と好意に基いたものである。

(六)  要するに、原告の本件転勤は会社の業務上の必要に基き、社業の興隆と職員の向上発展とを期した異動の一環であり、適切妥当な人事であつて、正当な経営権の行使によるものであり、決して原告の正当な組合活動を理由とする不利益取扱ではない。むしろ一般職員から主任、係長級以上の地位に相応する支部長になることは、社内の身分からすれば重要度の高いものに就いたものとして栄転というべきであり、しかも新設支部として会社の期待する徳島中央支部である。原告が期待せられた職責を遂行したときは、一段と重要な地位に進むことは明かであり、仮りに、予期の成績を挙げ得なくても、熱意と誠意とを以て努めている限りは、新設の故であり、地盤開拓の難きによるとされ、左遷されないことは当然であつて、原告にとつて決して不利益な差別待遇ではないのである。

四  以上の通りであつて二及び三いずれの理由によるも原告に対する本件転勤命令は何ら違法でなく、従つてその無効を前提とする原告の本訴請求は失当である。

第五被告の主張に対する原告の認否

昭和二十六年八月二十三日の人事異動が被告主張の通りの定期異動であつて、主任係長級の中堅職員が多くその対象となつており、原告が右対象範囲内にあつたこと徳島中央支部設置の必要があつたこと、原告の学歴、入社年月日、入社後の職歴が被告主張の通りであることは認める。その余の事実は否認する。

第六証拠<省略>

理由

一  被告会社(以下単に会社という)は生命保険事業を営む相互会社で、大阪市に本店を、東京都に東京総局を、全国各地に五十三支社、支社の下に全国で二百余の支部を有する。会社の従業員に内勤と外務との別があつて、原告は東京総局の内勤職員であつた。

会社の内勤職員を以て組織されていた国民生命職員組合(以下第一組合又は単に組合という)は、昭和二十六年六月会社に対し臨時給与として月収手取額の十割支給の要求を提出し、七月六日闘争宣言を発し、七日に定時退社、十日に本店及び東京総局で二十四時間ストを行つたが、スト当日本店において一部組合員がストに反対して組合を脱退し、国民生命内勤組合(以下第二組合という)を結成する形勢となつたため、十一日組合は会社案を受諾して争議は妥結した。その後組合が第二組合に対して統合を提議したが、その際第二組合の意向を容れて、七月二十八日執行委員長辻野耕二、副執行委員長杉浦正雄、同原告、執行委員山村太郎、中央委員前執行委員長堀日生の五名を辞任させて、統合交渉を進めた。

以上のことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第八、十、十一号証並びに証人辻野耕二の証言によれば、右統合の条件として右五名を非組合員として、右五名は自発的に今後二ケ年間は組合役員を辞退し組合活動に全く関与しないことを誓約する旨を提議した(その後第二組合はその提議を容れて九月十八日第一組合を吸収合併した)ことを認めることができる。このような情勢の中で会社は八月二十三日取締役以下六十八名の人事移動を行い、右五名の内原告、山村、堀の三名をそれぞれ原告主張の地方に転出させ、右五名の内杉浦はその前年七月一日東京総局から山口支社に転勤を命ぜられ、辻野一名が本店に残るようになつたこと、なおその際組合の東京連合支部副支部長であつた勝又春吉も東京総局から青森支社へ転勤を命ぜられたことは、当事者間に争がない。

二  右転勤命令は会社の組合に対する支配介入であるか。

原告は、第二組合が右五名を組合活動から排除したのは会社の意を迎えてのことであり、会社は原告らが組合役員を辞任し、自発的に今後二ケ年間組合活動に一切関与しない意思を表明したにも拘らず、さらに組合に及ぼす事実上の影響力をも封殺しようと意図し、追討的に委員長辻野を除き組合中核分子を一挙に地方に四散させたのは、既に前年副委員長杉浦を山口支社に転出させたことと首尾呼応して労働組合法第七条第三号にいう組合の運営を左右する支配介入行為に外ならない、と主張する。思うに一般に争議中に生まれた第二組合は第一組合より会社に対して協調的な傾向にあることは否定できないが、そうだからといつて、第二組合が第一組合に属していた右五名を組合活動から排除したことをもつて、直ちに会社の意を迎えてなしたものとは断定できないし、また証人辻野耕二は、組合統合交渉中、小西執行委員が委員長辻野に対し「第二組合の考えている統一条件は、会社の考えている線より緩い」と述べた旨供述しまた本店で調査課の係長級の者が勤務時間中会計課の第一組合員に第二組合への加入を勧誘しているところを辻野に詰問せられて課長の許可を得ていると答えた旨供述しているけれども、これらの事実から直ちに会社が第二組合と意を通じて第一組合の崩壊を助長し、第二組合を育成し、それがため原告らを地方に転出させたものと結論することはできない。その他全立証をもつてするも原告の右主張を認めるに足りない。のみならず、およそ本件のような人事の異動が使用者の支配介入行為であるというためには、その異動によつて組合の運営が左右されること、換言すれば、その異動がなければ組合活動を行い得たはずのものがこれによつて事実上組合活動を阻害せられたような事情がなければならない。しかるに本件転勤命令発令当時第二組合との統合のため、原告を含む五名はすでに組合役員を辞しており、非組合員として今後二年間は組合役員を辞退し絶対に組合活動をしない旨誓約することを組合自ら提議していたことは前に述べたとおりであつて、原告本人尋問の結果によるも、原告は昭和二十六年七月二十八日組合役員を辞任してからは、一切組合運動に関与していないことが認められるし、証人黒葛原精一郎の証言(第一回)によれば、会社においては人事移動が頗る頻繁に行われており、長期間同一地位に止ることのでき難い事情にあることが認められるので、原告はなお二年経過後組合活動が行われる時まで、東京に止まることは、他の釣合からすれば、必ずしも期待できないことが窺われる。こういう事情からすれば右転勤によつて、会社が組合の運営を支配し、もしくはこれに介入したものとは認められない。なお原告は右の状態にもかかわらず、組合に大きな影響力をもつ指導者であつたので、会社はその影響力をできるだけ排除しようとしたのであると主張するが、すでに前に述べたような事情である以上、原告が曾て組合の役員であつた事実だけで、直ちに右のような会社の意図を推定することはできない。更に原告のみならず、曾て第一組合の指導者であつた山村、堀、勝又も争議終了後一齊に地方へ転出させられたが、そのうち堀、山村は原告と同様当時組合活動を行い得ない事情にあり、かつ後に詳しく述べるように、原告のこの度の転勤命令は、会社の人事上の必要により為されたもので、証人黒葛原精一郎の証言(第二回)によれば、山村、堀、勝又の転勤もそれぞれ業務上の必要に基いて、適材を適所に起用したのであることが認められる。よつて原告の転勤命令をもつて、会社の組合に対する支配介入であるとする原告の主張は採用することができない。

三  右転勤命令は正当な組合活動の故の不利益取扱であるか。

原告は右転勤命令は組合に対する支配介入でないとしても、正当な組合の行為をしたことの故をもつてなされた不利益取扱であつて、労働組合法第七条第一号により、無効であると主張する。そこで無効を主張するには、先ず右転勤命令が組合活動の「故をもつて」なされたものであることを必要とするので先ずこの点について判断する。原告が前に組合の役員であつたことは、前に述べたとおりであるが、証人黒葛原精一郎(第一回)、小松正鎚の証言によれば、会社と組合との交渉は常に大阪で行われ、東京総局では団体交渉は行われず、また大阪本店における団体交渉でも、原告の言動は他の執行委員に比し特に顕著ということはなく、会社が原告に対してさまで敵意を有するような事実のなかつたことが認められる。また原告本人は昭和二十五年秋頃小松取締役や村上総務課長から「組合をやめたらどうか」といわれたと供述するが、証人小松正鎚、村上昭の証言に照して、果してそのとおりのことばでいつたかどうかは疑わしく、むしろ同証言によれば、同人らは原告の組合活動について多少ふれたこともあるが、右は原告に対する好意的な忠言や私的な談話以上のものでなかつたことが認められる。また成立に争のない甲七号証のスト当時スト対策本部長から各支社長に当て発せられた文書には、職員が「斯かる愚挙を今後断じて繰返さない様に努力したい」旨の記載はあるが、前記証人黒葛原(第一回)の証言によれば、その文面の細部にまで会社幹部が関知しないことが認められるばかりでなく、争議を繰返さないよう努力したいことは会社としては当然のことであつて、これをもつて直ちに原告の転勤命令が組合運動の故であると断ずるには足りない。

更に原告は、会社が曾て第一組合の指導的地位にあつた原告を始め、山村、堀、勝又の四名を争議終了後間もなく一齊に地方へ転出させたことは、それ自体、会社の不当な差別待遇の意図を示すものであると主張する。なるほど、その事実だけを取上げれば、一見右四名の組合活動に対する会社の報復的な意図を疑わせるかのようにも見える。しかし飜つて考えるに、後に述べるように、被告会社においては、従来から職員の異動が頗る頻繁で、特に原告及山村、堀の属するいわゆる中堅層の職員はその数が少いため異動率が特に高く、今次異動においてもその中相当数が異動の対象となつていたこと、しかも証人黒葛原精一郎(第一、二回)の証言によれば、被告会社においては、当時組合との間で、任期中の組合役員はできるだけ異動させない旨の身分保障の協定が結ばれており、本件異動に際しても、これを尊重して、第一組合、第二組合の各役員は異動対象から予め除かねばならなかつたこと、しかるに原告、山村、堀らは前記のように、いずれも中堅層に属し、もはや組合役員でもなく、かついずれも既に相当期間東京に在勤しており、今次異動の対象となる条件を十分具えていたことがそれぞれ認められる。かような事実を綜合すれば、かねて人繰りに困難している会社が、組合役員を辞して、異動が初めて可能となり、しかも社員としての経歴地位等からみて、転勤すべき条件を具えた原告らをこのたびの異動の対象に含めたことは、一応うなずけるところであつて、あながち不自然な人事とは認められない。即ち、これらの点を参酌すれば、右四名の一齊転勤の事実から直ちに、本件転勤命令が原告の組合活動の故をもつてなされたものと推断することもできない。その他組合活動の故に右転勤命令が為されたものであることを認めるに足る証拠がなく、むしろ次に述べるような事情から、会社の正当な業務上の必要からなされたものと認められる、すなわち

証人高田金次郎の証言によつて成立を認められる乙第一号証の三並びに証人高田金次郎、湯浅友三郎、黒葛原精一郎(第一回)の各証言を綜合すれば、当時徳島支社は、徳島市及びその周辺を所管する支部をもたず、人的陣容も弱体で事務職員のみで指導主任がおらず、募集成績が良好でなかつたので、昭和二十六年五月初旬会社の四国ブロツク会議の席上、徳島支社長から徳島市に支部を新設して陣容を強化するよう強い要望があり、会社も早急に対策を立てて開拓する必要を認め、研究の結果、徳島中央支部を設けることに決したが、その支部長には外務職員中からは適任者がない関係もあつてむしろこのような重要な開拓使命をもつ支部長には、住友精神を理解し会計の為めを図る経営型の、積極的活動的な内勤職員を用い、責任者として使命に当らせるのを上策とするという結論に達したことが認められる。ところが証人高田金次郎、湯浅友三郎、森井侃二、黒葛原精一郎(第一回)、鍛冶正治、弟子丸源八の各証言を綜合すれば、原告は通算約一年六月間、千葉、品川、金沢の各支社勤務の経歴を有し、勤続年数も満十年を超え、支部長に転出する中堅職員として普通の経験を有すること、被告会社では支部長の適格として直接募集の経験を必要としていないこと、原告は徳島に縁故を持たないが、任地との縁故は転勤の要件として必要ではなく、個人的縁故で獲得する契約は支部の経営全般から見れば一時的であつて、住友の信用を売り込んで行く根本策の前にはそれ程問題にならないこと、原告は指導力に富み渉外的活動性を有し、会社側や嘗ての上司同僚が原告の性格を支部長に適任であると考えていることが認められる。

原告は内勤職員から支部長に転出する適格の一つとして年齢満三十年以上であることを挙げるけれども、会社が支部長詮衡要件としてこのような定めをしているものと認めるにたる証拠はない、然も昭和二十六年八月二十三日の異動が主任、係長級の中堅職員以下に重点を置いた定期異動であつて、原告がその対象範囲内に入つていたこと、については当事者間に争がなく、証人荒井弘の証言、同証言によつてその成立を認められる甲第五号証並びに証人黒葛原精一郎(第一回)湯浅友三郎、森川侃二の各証言によれば、前にものべたように右定期異動で異動可能の対象となつた中堅職員は、戦時中社員の採用が激減した時代に入社した階層であつて、会社所要の主任、係長級の地位を充たすに足る人員数を欠き、その上、代りのないため引抜くことができない地位にある者、病気の者、能力不足者、要注意者等の転勤条件に合わない者を除くと、異動の確率は極めて高率であつて、会社は人繰りに困難しており、原告はこれら中堅階層に属するため異動は避けられない情勢にあつたこと、原告は本件転勤発令時まで一年八ケ月間東京総局に在勤し、異動頻繁な被告会社の男子職員の一地位平均在勤年月としては短い方でないこと、東京総局において原告は社宅、用度品の管理に当る総務課員であつて余人を以て代えることができ引抜困難でないこと、徳島中央支部長として会社の選んだ候補者は原告と本店総務部人事課勤務の河野力の両名であつたが、河野は当時職員の経営教育実施研究の任務を帯びて人事課に入つたばかりで、会社の重要視する右教育の構想が崩れ去るという理由で人事課長が反対したため引抜くことができない事情にあり、結局原告を徳島中央支部長として転勤させることを最も適当として転勤命令を出すに至つたのであること、被告会社の異動は全国的経営網に応じて適材適所に全国的規模で行われ、東京総局から地方への転出は通常の人事であることが認められる。

そうだとすれば、原告を中堅職員中最適格者として同支部長に充てたことは、会社の正当な業務上の必要に基いて為されたもので、且つ公正な人事であつて、会社が原告の組合活動の「故をもつて」ことさらに原告を徳島に転勤させたものであるとは到底認めることができない。

のみならず、原告に対する本件転勤は次にのべるような理由で労組法第七条第一号にいわゆる「不利益な取扱」であるということもできない。およそ労組法第七条第一号にいわゆる不利益な取扱かどうかは、単に職務内容、労働条件等を従来の地位と比較することによつてのみ決せられるものでなく、新しい地位が社員として当然経験すべき職務であるとか、将来の昇進にも有利であるとか、その他あらゆる事情を参酌して綜合的に決すべきであり、更に従業員が特に、その転勤を苦痛と感ずる個人的な事情があるような場合でも、それが根拠のない主観的な感情でなく、何人もその立場に立てばそのように感ずると思われるような合理的なものである限り、こういう事情も同条にいう不利益取扱となるかならぬかを判断するにつき考慮されてよいであろう。そこで本件転勤命令について考えて見よう。

証人湯浅友三郎、黒葛原精一郎(第一回)、鍛冶豊治、弟子丸源八、横山親七の各証言によれば、被告会社における支部長は、その下に出張所長、外務職員及び外務嘱託があり、これら職員や募集援助の代理店が保険契約の直接募集に従事するのを指導し督励して、地盤を開拓し、良質の契約を継続的に多数獲得し、常に有能な外務の新人を養成し有力な代理店を増設して支部陣容を拡大強化し、支部の経営に当る。従つて会社は支部長が個人的に直接募集にかかわらず、支部の経営全般を伸長させることがおろそかにならぬよう、その個人募集責任額を免除していることが認められる。また成立に争ない乙第六号証の一乃至三、証人湯浅友三郎の証言によつて成立を認められる乙第八号証の一、二及び同第十号証、証人荒井弘の証言によつて成立を認められる乙第十二号証、並びに証人林定一、同高田金次郎、同黒葛原精一郎(第一回)、同鍛冶豊治の各証言を綜合すれば、会社は大正十五年創業以来、内勤職員を支部長に充てており、昭和七年社業の発展と機構の拡充に伴い、外務職員中の有能者を支部長に登用する道を開いてからは連年両種の支部長を併用しているが、外務職員たる支部長はその身分及び給与を内勤職員と同じに待遇し、個人募集責任額を免除し、経営を職責とするものであることを明かにしているのであつて、支部長の職務に経営面を重視する基本政策をたて、社会事情や経済事情の変動に伴い、或いは社内人事の調整上の必要等から、年度によつて外務職員から登用の支部長を多くしたり、内勤職員の支部長を多数発令したりすることがあるけれども、支部長の職務について経営面を重視することは終始一貫していることを認めることができる。以上に認定した事実に徴すると、被告会社においては内勤職員が支部長に転出しても、支部長に直接募集を要求する同業他社(証人渋谷益左右の証言によれば、このような会社では、内勤職員から支部長に転出する場合を職種の変更として取扱い、組合との間に協約を以て転出条件を定めてその不利益を補つているものがあることが認められる。)とは異り、外務職員並みの直接募集業務に変質するものとはいい難く、また実際上も内勤職員を支部長に発令した事例も数多くあるのであるから、内勤職員にとつて支部長の職務は、全く性質内容を異にし、内勤職員が支部長に任ぜられることは異例の人事であるとする原告の主張は認め難い。そのほか支部長の職務が、内勤職員にとつて、当然に不利益であることを認められるような証拠もない。またさきに詳しく述べたように、原告が転勤を命ぜられたのは、支部長の職務が、原告の経験、年令、能力などから適任であると認められたからであつて、ことさら不適任な職場に転勤を命ぜられた訳でもない。従つて従業員としての待遇とか労働条件などについて、原告が従来にくらべて不利益な取扱をうけたものとも認められない。

原告は支部長の職務は一般に内勤職員によつて好まれないものであると主張するが、それを肯くにたる合理的理由については、何の主張も立証もなく、単に感情的な好悪だけで、不利益取扱と断定することはできない。なおほかに原告がこの転勤を特に苦痛と感ずる個人的事情についても、何の主張も立証もない。

すでに述べたように、被告会社は全国各地に多数の支社支部を有し、職員の移動も頗る頻繁である関係上、地方への転勤は社員にとつて避け難いところであり、また証人黒葛原精一郎(第一回)の証言によれば、被告会社では内勤職員で支部長の職を経験した者は相当多数にのぼり、重役支社長などに昇進した者も少くないことが認められる。原告は学歴においても、商業学校を卒業しただけで、年令も当時また二十七歳である。将来長い社員としての生涯においてこうした支部長の経験を経ることは、決して不利益なことゝはいゝ難い。もつとも徳島へ支部長として転勤することは、一時は多少は好まない事情や不便が伴うことがあるかも知れない。しかし将来の昇進のためには、社員として一度は通つてよい道であるとすれば、一時的に多少好まない事情や不便があつたとしても、永い目で見て不利益でない場合もある。「可愛い子には旅をさせよ」との俗諺もこの意味にほかならない。不利益となるかならぬかも、その一時点だけでなく、長い間の大局から見て判断しなければならない。(被告は社員として将来栄進のためには、支部長の職を経ることは、決してむだでないと主張しているのであるから、原告が転勤命令に応じて徳島支部長として赴任するならば、被告は将来原告の栄進の上に、自らの主張を裏切るような行為をしないことを裁判所は期待しているのである。)

すでに徳島支部長の職務が、従来の職務にくらべて一般的に不利益な地位であると認められないばかりでなく、原告個人にとつても、特に不利益と認められるような合理的な事情が認められない以上、本件転勤をもつて、労組法第七条第一号にいう「不利益な取扱」であるともいえない。

四  よつて会社の原告に対する本件転勤命令は、労組法第七条第一号、第三号いずれにも違反せず有効であるから、その無効を前提として原告が東京総局に勤務する職員であることの確認を求める原告の本訴請求は失当であるので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 千種達夫 立岡安正 田辺公二)

(別表省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例